ひまわり山の会
御嶽山(3,067m)登山と 木曽路中山道の[妻籠の宿]、[馬籠の宿]の旅
平成22年7月17日18日19日
標高3,067m、御嶽山は、今なお山頂に蒸気が噴き出しているコニーデ型火山で信仰登山の霊山として全国に知られています。御嶽山は大巳貴命(おおなむらのみこと)・少彦名命(すくなひこなのみこと)の二神をおまつりし、疫病のまん延を防ぐことを祈願している。聖なる山の峰々にこだまする山霊への祈り、忘れかけていた大自然の神秘がよみがえります。下山後は [木曽路の中山道宿場町]の福島宿、妻籠宿、馬籠宿、歴史と文化の香り漂う宿場町を訪れます

画像をクリックすると拡大します

田の原登山口より御嶽山

3067m
御嶽山剣が峰

御嶽山剣が峰
「御嶽山」 3,067m
木曽節で有名な「御嶽山」は、長野県と岐阜県にまたがる活火山です。日本百名山のひとつでもある御嶽山は、富士山・白山・立山とならんで古くから霊峰としても有名で山岳信仰が盛んな山です。一般登山者はもちろん、白装束の信者さん達も全国から多く巡礼登拝に訪れます。山頂には御嶽神社奥社があり、大己貴尊(おおなむちのみこと)[大黒様]、少名彦尊(すくなひこなのみこと)[恵比寿様]が奉られています。
日本一の山は富士、日本一の嶽(タケ)は御嶽(オンタケ)といわれ、各地にある御嶽は(ミタケ)と読み(オンタケ)と読むのは木曽の御嶽だけです。古代から大噴火を繰り返し、現在の岩肌は厳格で荒々しい姿ですが、もとは富士山のような台形の山で標高約4000m以上あったと推測されています。
開田高原や三岳から御嶽を望むとよくわかるように、頂点は遥か上空、天高くそびえていたことが想像できます。
昭和54年10月28日に噴火し、山頂の‘剣が峰’(けんがみね)周辺では今も火口からから立ち昇る水蒸気を見ることができます。

◎2010年7月17日(土)◎
観音寺発6:46しおかぜ4号 →岡山7:51着 
岡山8:14発のぞみ4号 →名古屋9:51着 名古屋10:00発 ワイドビューしなの7号→ 木曽福島11:24着  木曽福島11:30→タクシー田の原登山口着12:30
七合目田の原登山口発(標高2180m)13:00→大江大権現(標高2285m)→8合目石室(石で囲まれた木造避難小屋) 金剛童子(標高2475m)→富士見石(標高2625m)→9合目一口水(標高2700m)→中央不動(標高2850m)→王滝頂上(標高2936m)→剣ヶ峰(3067m)約3時間30分程で到着、御嶽山は独立峰だけあって、360度の眺望は絶景です。乗鞍岳を始めとし、木曽駒ケ岳、穂高岳、槍ヶ岳、笠ヶ岳、北アルプスの山々もちろん、南アルプスや富士山も眺望。御嶽頂上山荘泊
◎2010年7月18日(日)◎
御嶽頂上山荘6:00→八合目→行場山荘→中ノ湯→御岳ロープウェイ山頂駅(7合目標高2150m)飯森駅→ロープウエー→鹿ノ瀬駅 鹿ノ瀬駅 御岳ロープウェイ発10:50→JR木曽福島駅前着11:50 JR木曽福島駅→JR南木曽着→タクシー10分
妻籠の宿松代屋着 宿松代屋泊
◎2010年7月19日(月)◎
妻籠の宿松代屋発8:00→90分ガイドコースで妻籠宿内見物(妻籠宿案内人の会)脇本陣奥谷(国重要文化財), 妻籠宿本陣 ,高札場, 歴史資料館等) 妻籠発中山道を徒歩1時間30分で馬籠峠→馬籠峠→馬籠着13:00 馬籠の宿見物 ,藤村記念館等。.馬籠発→JR中津川着 JR中津川16:07発しなの16号→名古屋 17:00着 名古屋17:15発 のぞみ47号→岡山18:56着 岡山19:35発しおかぜ25号→宇多津20:15着→詫間20:36着→ 観音寺20:47着

画像をクリックすると拡大します

七合目田の原登山口

七合目田の原登山口

御嶽頂上山荘

御嶽山剣が峰
下山途中

雲海での一休み

1804年創業(と言われる)約200年以上の歴史がある。建物は当時の面影を残している

上嵯峨屋18世紀中期の建築と推定され、妻籠宿でも最も古い建物の1つです町指定有形文化財

昔の旅籠そのままに、出梁(だしばり)造りや竪繁(たてしげ)格子の素朴な家並み

和宮の将軍家お輿入れに通った中山道の石畳み

馬籠峠801m

木曽山脈最南端の中央アルプス秀峰。標高2,191m。「日本百名山」馬籠宿入り口に位置します

NYタイムズに掲載されたという「芸術品フルーツパフェ」馬籠宿の喫茶店「穣」

「是より北木曽路」の碑。島崎藤村の筆跡。

是より北木曽路」の碑にて。

ヒノキ薄板で出来た『完歩証明書』馬籠〜妻籠間8km
妻籠宿
 歴史の面影を残す宿場町妻籠宿は中山道・木曽路と言えば『妻籠宿』と言われるほど、中山道69次のうち江戸から数えて42番目となる妻籠宿は江戸時代の面影を色濃く残している宿場。時代が変り明治になり鉄道や道路が新たに造られ、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりました。やがて昭和になり経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、ここに全国に先駆けて町並み保存運動が起こったのです。妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」という3原則をつくり、ここで生活しながら、江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えているのです。妻籠は全国に先がけて町並み保存に取り組み、昭和51年には『国の重要伝統的建造物群保存地区』に指定されている
枡形の町並みの中は古い建物が残され、常夜燈や水場も宿場の面影を偲ばせています。高札場も復元され、江戸時代の民家(熊谷家)も残っています。その町並にひとたび足を踏み入れると、江戸時代にタイムスリップしたような気持ちにさせてくれます